ブリットポップでヴィトクリアンゴシックな、アクションコメディ
イギリス・ロンドンを舞台にした、ちょっとブラックなユーモアファンタジーです。 SCARRED小説ではありますが、ポップでキッチュな感じで軽ーく書いています。 懐かしがてら、お読みいただけると幸いです。
(かなり連載を止めていたので、幕間の話を書きました。途中から再開するのにも。[08.05.30])
目次

Chapter 1 現代の魔法使い

1-1 口は災いの素

「君はマーリンにでも成ったつもりかね」

 課長室に入るなり、そんなことを言われて。ベンジャミン・ハロルド=シェリンガムは、ただ一言、いいえとだけ答えた。
 目の前のマホガニーのデスクに座っているハゲ頭の男は、ランドルフ=カヴェンディッシュ警視正。ロンドン首都警察──通称、スコットランドヤードの重犯罪対策局・殺人捜査部・西部地区課長サマだ。言葉には気をつけないといけない。ベンジャミンは笑いをかみ殺した神妙な表情のまま。黙って立っている。

「シェリンガム警視、私はこれでも君のことをずいぶん高く買っているつもりだ」
 低く抑えた警視正の声には、怒気が含まれていた。
「君はオックスフォード出の秀才で、家柄も素晴らしいし、あのプレスコット下院議員は君の叔父だと聞いている。私が警視になったのは43才の時だが、君は38才でもう警視だ。実際、私の補佐役としてよく働いてくれているし、手際の良さにはいつも舌を巻く限りだ。しかしな」
一気に喋ってから、ギラリとした視線をベンジャミンに投げ打つ。
「今回ばかりは、君の考えが理解できない。一体どうして、ああいったことをしでかしてくれたのかね? 君はBBCの連中に借りでもあるのか」
「いえ、ありません。深夜にやっている“男のクッキング24時”は好きですがね」
ニヤと一瞬だけ笑みを見せて、ベンジャミンは相手が反応する前に言葉を続けた。
「私も、警視正と同じで、メディアの連中は大嫌いですよ。ヘドが出ますね。しかし、BBCはあれでも国営放送ですから、どこからか我々の情報力操作の及ばないところから、マハムード=アサディがあの場所に現れることを掴んだんでしょうな」
「他人事のように言うな!」
ドンッ、とカヴェンディッシュ警視正はデスクを叩いた。
「奴をなぜ、逃がしたんだ!? 理由を言え」

 だが、ベンジャミンは冷たい視線を相手に据えただけだった。栗色の髪は、ラフにセットされており、サヴィル・ロウ※の老舗テーラー、ギーブス&ホークスのスーツを着ているにも関わらず、シャツの第一ボタンを開けネクタイを緩めている。一見だらしないように見えるのだが、それが妙にサマになっている。不思議な雰囲気のする男だった。
「逃がしたつもりはありません。彼が消えたのです。我々の前から、フッ、とね」
彼は堪えきれずに、クスッと笑う。
「土曜日、昼間のトラファルガー・スクエアがどれほど人で込み合うか、警視正はご存知ないようだ。まあ、要するに私が現場への指示をミスしたわけですから、処罰・処断、如何様にもなさっていただいて結構」
「シェリンガム、俺の立場も考えてくれ!」
とうとうカヴェンディッシュ警視正は、椅子を蹴倒して立ち上がっていた。

「我々が逮捕するはずだった容疑者が、ハイドパークの市民論壇場(スピーカーズコーナー)※に突然現れて、自分の無実を訴えたんだぞ。しかもそれをBBCが生中継だ! 悪いジョークにも程があるだろうが!」

 ひょいと肩をすくめるベンジャミン。カヴェンディッシュ警視正は、それを見なかったことにして、椅子を戻し荒く息をしながら腰掛けた。
「マハムード=アサディの無実の訴えに、ロンドン市民は心を動かされてしまった。これで奴を逮捕することが難しくなった。捜査もまた一からやり直しだ」
「いいんじゃないですか。捜査をやり直すことに、私は賛成です」
しかし淡々と、ベンジャミンは言った。
「アサディに関する調査報告書に目を通しました。今のところ物的証拠が少な過ぎます。同じ状況で逮捕・起訴された人間は過去には一人も居ないはずです。過去の類似事件と違う点は、アサディがイラン出身のイスラム系移民であるということだけです。これは宗教・人種上の差別には当たりませんか」
「ま、待て、落ち着け、シェリンガム」
突然、部下が言い出した糾弾に、警視正は目に見えるほど狼狽した。ここは個室で、ほかには誰も居ないというのに周囲にキョトキョトと目線を走らせ始める。
「アサディを逮捕しろと言ってきたのは、MI5(国防情報局保安部)※で、報告書も連中が作ったわけで……」
「連中の言いなりになる必要がありますか、我々は警察ですよ。しかもMI5からテロ対策部ではなく、この殺人捜査部にお鉢が回ってきたということは、アサディを別件逮捕して取り調べるつもりだったんでしょうな。それぐらいのこと、貴方でもお分かりでしょう?」
カヴェンディッシュ警視正は、ひるんだように上体を反らせた。
「それに──」
たたみかけるように、ベンジャミンは続けた。
「私のことをマーリンと呼ぶのはやめた方がよろしいかと。私は魔法使いではありませんし、もし私がマーリンだとしたら……」

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※ハイドパーク: ハイドパークという大きな公園がありまして。その角に市民が勝手に喋っていい「公開シャベリ場」があるのです。
※サヴィル・ロウ : 紳士服スーツの老舗がズラリと並ぶ英国紳士ファッションの聖地。
※MI5 (国防情報局保安部): 国内方面のテロ対策をする情報局。ジェームズ・ボンドが所属してるのはMI6で、あれは外交方面の活動をします。だからボンドは海外に行くのね
by Kanae Fuyushiro Copyright (C) 2006-2007

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